2016年4月18日月曜日

CM音楽昔ばなし  「伝説のドラマー」 石川晶さんの事


'60年代から'70年代まで活躍されたすごいドラマー、石川晶さんについてのお話です

日本でトップクラスのビッグバンド、「宮間利之とニューハードオーケストラ」のドラマーだった石川さんはスタジオドラマーとしても一番の売れっ子でした

その頃はCMは35mmのアナログフィルムで撮影され、それを録音スタジオで映写しながらレコーディング、と言うのが一般的でした

フィルムのリーダーに3・2・1と数字が現れ2の所にブツっというノイズが付いています、これを通称2ブツと呼んでいました

それを見ながらドラマーはスティックでワン・トゥ・スリーとカウントを叩き演奏を始めます

フィルムの28コマ目から音が入るタイミングで演奏しなければなりませんからそのカウントがとても重要な意味を持っています

またCMですから何秒何コマめにアクセントの音が来るように作られていたりしますからテンポなども重要になります

石川さんは一度テストで演奏して「ちょっとキッカケが合ってませんが」と私が言うと「わかった!もう一度テスト行くよ!」ときもちテンポを変えてカウントを!

するとぴったりになります!プロでしたね!

もちろん専門の指揮者がいたり作曲家が自分で指揮をすることもありましたが石川さんがいればたいていの事はお任せで大丈夫でした

録音された音楽はその2ブツに合わせて再生すれば同期出来る訳です

そんな訳で石川さん超売れっ子でした、ドラムセットを2組持ちボウヤが2人、次のスタジオに1人を先に行かせてセッティングを事前に行い
仕事が終わると身体だけ次に移動すると言うまさに「ケツカッチン」で仕事をこなしていました


その石川さんはアフリカが大好きでむりやり休暇を取るとケニアに足しげく通っていました

「ピグミー族と踊って来たよ!」などと嬉しそうに話していたのを覚えています

好きが嵩じて恵比寿に「ピガピガ」と言うアフリカンクラブを作ってしまいました!

そこではケニアから連れて来たバンドのライブを毎晩楽しむことが出来ました

アフリカのパーカッションがそこここに置いてありお客も一緒に参加できる楽しいお店でした!

もちろん私はしょっちゅう通っていました!

月に一度ビッグバンドの日があってその日は仲間のスタジオプレイヤーが続々と楽器持参で集まって来ます!

皆がやって来るのでステージはもうぎゅう詰めです、トロンボーンが8人いたりするんですから(笑)

最前列のお客は伸びて来るトロンボーンの管を避けながら聴かねばなりません(笑)

その時たまたま客席にハナ肇さんがいらして「俺もドラムやりたい」と!「譜面なくても誰でもやれる曲なら俺にも出来るよ!」と!

「ムーライトセレナーデだったら大丈夫だよね?」全員「OKです!」ハナさん楽しそうでしたよ!

客席も盛り上がりました!


そして石川さんはケニアに移住してしまいました、そしてケニアの土になられました


息子さんがおられて車のメカニックをやっていてサファリラリーのメカを担当されたこともあると伺っています

日本語、英語、スワヒリ語に堪能で「ピガピガ」もしばらくやっていましたが今は何処にいらっしゃるのか消息は分かりません

今はコンピュータードラマーが主流になってしまってこんな人たちとのコミュニケーションがないのはつまらない時代だな~と思ってしまいます


0 件のコメント: