2014年3月7日金曜日
父の事
私の父は明治生まれでしたが今で言うとマイホームパパでした。
公務員でしたが仕事が終わると真っ直ぐに家に帰ってきて子供たちと遊ぶのが大好きでした。
もちろん子供たちの友達も沢山来ていたのでそれを含めて大勢でワイワイと賑やかなのが大好きでした
若い頃子供が小さい頃は転勤が多く我々兄弟5人ほとんど違う場所で生まれています。
単身赴任などない頃でしたから家族全員で引っ越していたのです。
さぞや大変だったろうと思いますね!
長兄は小学校を6回変わったそうです(笑)
私が小学校に入ったころからは1回だけそれも荻窪の中での引っ越しでしたから私は転校はしないですみました。
父がいわゆる日本人の父親と違っていたのは料理こそしませんでしたが買い物は平気で行っていたことです。
晩のおかずを買いにその頃荻窪の駅前にあったマーケットに肉や魚を買いに行っていました。
肉屋さん、魚屋さんとも仲良くなって「だんな!これうまいよ!」と特別に美味しいものを手に入れたりしていました
面白い思い出はある平日の朝、兄弟5人を呼んで「全員今日は学校を休め!」と命令が!
もちろんこちらは「やった~!」です。
子供たち全員を引き連れて向かったのは科学博物館!休日は混むから平日に行くのだ、この方が勉強になる、との理由です。
今では考えられないですよね!
また自宅の2階には壁一面の本棚がありそこにはハヤカワミステリーが沢山ありました。
イアン・フレミングもエド・マクベインもここで覚えました。
87分署面白かったですよね!
ゲームが好きで麻雀は物心ついたころには膝に抱かれて見ていましたし私、友達も父から教わっています。
それが綿々と現在のわが一族の麻雀大会に引き継がれています
またカードゲーム、花札、コントラクトブリッジなども父から教わりました
ゲーム好きのDNAは引き継がれて今に至っています
父の思い出は沢山ありますが55歳と言う若さで亡くなってしまったのが残念でなりません
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